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叱る教育

今週も忙しそうだ…。

とうとう雪が積もった12月。年末が来る。なんだか昔より1年が経つのが早くなってきた…。歳をとった証拠か…。

さて今日は自分の過去のことについて。「お前の過去なんてしらねーよ!」って感じですが、まあまあ落ち着いて。過去といっても「叱られた記憶」について。これを踏まえて自分のことについても考えてみるのもありなのでは…?(とか言ってみる。)

自分は長男として産まれたため親から期待されることが多くまた一方で叱られることも多かったです。そこで怒られる際に父親に良く言われたのは「~ができないような奴は家にはいらん。出て行ってもらう!」というフレーズでした。もちろん親は本気ではなかったと思いますが怒られている自分は家を出ていく勇気はなく、「出ていかない!」と意地を張るしかありませんでした。二択でしたが実質勇気がなかったので一択で、そのあとに出される親の要求?願望?を約束するしかなかったものです。親からするといい子になって欲しいとかいい成績をとってほしいということだったのでしょうが、怒られているときはすごくストレスが溜まってました。まぁですが怒られていたおかげか人の考えを受け入れるようになったのかも知れません。どうだかわからないけれど。
それと親は極論を叱る時に出すことが多かったです。「こんな問題ができないなら学校やめてしまえ!」「こんな成績とるんなら将来ゴミ拾いでもしてろ!」といった感じです。これもさっきのと同じで極論というか暴論というか、想像の範囲外に結論が飛んでいくというか、とにかく叱られるが嫌になりましたw。怒られるのが怖い故、未だに父親には逆らえません。でも期待の裏返しだと思って少しでも期待に応えようとしているつもりです(なので少し前に「そんな奴に育てた覚えはない」怒られた時はすごく悲しかったです…。)。

ここまで書いてきて「この性格は親が決めたのだ。」というわけではありません(そう思いたいところは心の奥底にはあったりしますが)。しかし少なからず叱られた記憶が鮮明に残っているので影響していると思います。性格と言っても一部のあまのじゃくなところとか…かな?(人から案を出されるとわざと反対のこと言って対立したくなる時が…)。
だからと言って今から自分の性格を変えよう云々という話でもありません。今自分が思っているのは「もし自分の子供ができたときにどう叱ろうか?」ということです。おそらく叱るのが上手じゃない自分は子供を変な性格にしてしまうのでは…?とも心配します。叱ると嫌われるのは当然です。ですが嫌われず甘やかさずくらいの親と子の距離が保てればいいと思っています。
ちなみに父親は「自分は放置されて育った。もっと親に口出しして欲しかった。」と言っていました。もしこれで自分が「叱らない教育」というものをすると、またその子供が「叱る教育」をして…。時代は繰り返されるものなのかもしれませんねw。

…子供の話をしていますが、その前に相手の人がいなくちゃいけないよね?

…またこのオチかーーー!!



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